全ては感動への布石
2007年 06月 18日
皆さん、こんばんは。お久しぶりです。あなただけの九尾狐です。
さて、久しぶりの更新というわけなのですが、これには理由があります。
文化祭。
そうです、筆者の通っている学校で文化祭があったのです。筆者はその中央実行委員会に所属しているため、テストが終ってからはその準備に汗を流していたわけです。
と言うわけで、本日は文化祭の総括的な物を書き記していきます。ネタバージョンの更新は次回に回します。本日は真面目なバージョンで。。
今年の文化祭。僕は昨年同様に中央実行委員会に所属した。担当する部門は大劇場。参加者の殆どが3年生で、つまり最後の文化祭である人々だ。
最後の文化祭ということで、3年生達は意気込むであろうことは昨年の経験から眼に見えていた。しかし昨年は飽くまで補佐役に徹していたので、責任や苦労等は全て部門長たる先輩に押し付けであった。
しかし今年はそうもいかない。自分が部門長になったのだ。責任も苦労も、全部こちらに廻ってくる。改めて気を引き締める必要があった。
今年の委員会が本格的な活動を始めて間もない頃、筆者は己に一つの誓いをした。『絶対に涙は流さない』。 というのも、『大劇場部門は絶対に泣かされる』という風の噂を耳にしたからだ。
本格的な活動が開始され、暫らくは何事もなく進んでいった。
中間テストが終了し、学校全体が文化祭の空気一色に染まり始めると、3年生の態度が豹変した。本気になり始めたのだ。
大劇場でする企画について話し合う事が、日を負って多くなった。かなり無理な企画を持って来られる事も増えてきた。こちらのミスを突いて、自分達の有利に進めようとされる事もあった。
丁度この頃から、僕のクラスの方も活動が活発になり、そちらの練習にも参加せねばならなくなった。
正直、しんどかった。大変だった。
それでも続けられたのは、何故だろうか…。
ここまでは己への誓いをまだ破っていない。このままで本番を迎えられると思った。気持ちよく成功させられると思った。しかし落とし穴は思わぬ所に待ち構えていた。
本番前日、ある事件が起こった。3年生は関係ない。僕のクラスの問題でもない。それは一番信用していた中央実行委員会内でのことだった。
ある事が起こり、それによって僕はぶち切れた。今まで溜まっていたものが全て、堰切られた濁流のように飛び出した。怒りが僕の心を占拠した。
悔しくて涙が溢れ出した。止まらなかった…。
そんな状態で迎えた文化祭初日。
準備の忘れがあり、焦燥に駆られる事が一件あったのみで、その他は順調に進んだ。その問題も、先生やOB・OGさんの協力の甲斐あって、終息した。
自分達のクラスの劇も、とりあえずは成功だった。しかし、お客の笑いを思うように取ることが出来ず、全員の顔を悔しさが満たした。
そんなクラスの状態を気にしながらも、僕は大劇場の方に駆けた。
先生の協力のお陰で、全て円滑に進んでいた。
そんな感じで一日目は終える事が出来た。
しかし、僕には気にかかる事が一つ残っていた。今年の文化祭ではまだ笑顔を見ていない。これはとても苦しいことだった。
活動をしている最中に、帰宅間際のクラスメイト達に出会ったのだが、全員の顔にウンザリとしたものが見えた。笑顔は一つもなかった。
委員会内にも笑顔は見受けられなかった。
こんな文化祭に何の意味があるというのか。どれほど事が順調に進められても、楽しくなければ意味がない。
僕は鬱屈とした気分を抑える事が出来ないまま、文化祭初日を終えた。
2日目。
泣いても笑っても最後だ。兎に角、僕は精一杯取り組もうと心に決めた。
この日、クラスでの劇が終った後、全員が笑顔になった。やり遂げた達成感と、安堵で思わず顔が緩んだ。本当に嬉しかった。この仲間達と創り上げたものが嬉しかった。
大劇場の方も、歓声が上がるなどの前日には見られなかった光景を眼にした。一気に心は澄み渡った。
フィナーレにて、幾つかのトラブルがあり、幾つかの感動的な場面があった。
その後はクラスでの打ち上げだった。花火をするという連絡が入った。僕は後片付けが残っていたので、30分ほど遅れて会場に向かった。
皆、待ってていてくれた。嬉しさで胸が一杯になった。
始まりは些細なことから。途中、猛烈な勢いで最悪な方向へと向かった事もあった。けれど、最終的には最高の文化祭だった。
最後に。
僕は大劇場部門長として何か出来ただろうか? 3年生の想い出創りに貢献できただろうか?
そのことが気に掛かって已まなかった。
勿論、己に出来ることはしたつもりだ。しかし僕は3年生にとって、迷惑な存在だったのではないだろうか。
自分が大劇場部門長を務めると決まった時から、文化祭終了まで気に掛かっていた。
僕はもう一つ、決めていた事がある。 『3年生が言ってきた企画を禁止する機関ではなく、如何にして実施できるようにするのかを考える機関でありたい』 ということだ。
3年生の要望に、僕は応えることが出来たのだろうか。
フィナーレでの3年生の歓声・涙・笑顔。それは、僕の心の靄を吹き飛ばしてくれる、最高の贈り物だった。
フィナーレが終わり、3年生のあるクラスに片付けを手伝ってもらった。そのクラスは惜しくも受賞を逃したクラスだったので、手伝ってもらうのは忍びなかった。しかし全員、テキパキと動いてくれて、作業は順調のまま終った。
その作業が終った後、そのクラスの代表者の人、つまり会議に参加していたり、企画について幾度となく僕と話し合った人が数人、こちらまで来てくれた。そして口から出た台詞は、
『今まで一杯迷惑とか掛けたと思うけど、ゴメンな。ホンマにありがとう』
その言葉だけで、充分だった。思わず目頭が熱くなり、綺麗な液体が眼から染み出した。何故かしら、少ししょっぱかった。
照れ隠しに俯いた顔に、笑顔が広がった。
そして体育館での作業が終わり、ゴミを捨てに収集所まで行くと、別のクラスの3年生に出会った。これまた受賞を逃したクラスの人だった。その人も、僕と話し合いを繰り返した先輩だった。
『ホンマにありがとうな』
これだけで胸が一杯になった。しかしこの先輩は更に言葉を続けてくれた。
『今年の大劇、お前がいてくれてホンマに良かったわ』
堪えていた涙が溢れ出した。大劇場部門を担当していて、『最高の瞬間』だった。大粒の涙がいつまでも頬を撫でた。
そして全ての片付けが終わる。別れ際に武伝先輩が声を掛けてきてくれた。
『今までお疲れ様でした。何にも手伝えないでごめん』
先輩の少し嗚咽が雑じった声に、やっと止まった涙が再び蘇った。さっとその場をやり過ごし、打ち上げ会場まで向かう自転車の上で、涙が止まらなかった。
『大劇場部門は絶対に泣かされる』というジンクスは嘘ではない。しかし真の意味でこれを理解できるのは、全てをやり遂げた後だろう。少なくとも僕の場合はそうだった。
大劇場部門の特権は、個人間の繋がりが生まれることだ。
その繋がりは友情や愛情とは少し違う。
そして些細な感謝の言葉に心が温かくなる。『ありがとう』だとか『大変やなぁ』とか、普段何気なく耳にする一言の重みを実感できる。
僕はこの文化祭を通じて、3年生に助けられた。
1度信じられなくなったものをもう1度信じさせてくれた。
僕の苦労以上のものを与えてくれた。
そんな3年生に礼を言いたい。心からの感謝をしたい。
この経験はきっと、一生ものの想い出へと変わるだろうから…。
『ありがとう』
☆彡
by kyubi-grakai
| 2007-06-18 23:40
| 心の詩