移転しました。これまで当ブログ"歌詠み狐の徒然日記"のご愛顧、ありがとうございました。


by kyubi-grakai
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命の尊さを知る


 皆様、こんばんは。あなただけの九尾狐です。



 この1週間でめっきり寒くなりましたね。

 昨日の空手はその寒さのせいで辛かったです。

 気温の低い外を自転車で駆け抜け道場(小学校の体育館)まで行き、裸足になって、あの体育館のフローリングの上でする。嗚呼、思い返すだけでも冷々します。

 そういえば今日の補習でも1限目の授業ではシャーペンを持つ手が悴んで書き辛かったっけ。

 自転車通学の難点はそこですね。

 夏は暑い中を汗だくになりながらペダルを漕ぎ、冬は底冷えのする寒さの中を諤々と震えながらペダルを漕ぐ。

 でもまぁ電車通学にすると自転車通学の倍時間かかるので、結局は自転車からは逃れられないんですけど。



 さて、本日の生態記録といきたいのですが、ネタが無い。

 午前中、補習。午後中、システムエンジニア&犬の散歩。

 うーむ、とりあえず簡単に書いていこうと思います。


 午前中は例によって例のごとく補習です。

 毎月第1・3・5土曜日に催されるイベントです。

 まぁつい数年前までは土曜日にだって普通に授業があったので文句はこれっぽっちも無いんですけどね。

 こう寒くなると、朝に布団から出るのが辛いんですよ。これだけはどうしようもないんですよ。

 特に筆者、今も尚、薄い毛布一枚で寝てますからただでさえ寒い。

 その布団を剥がされるのは何とも言えぬ『業』。

 そろそろ慣れろよっていう話なんですけど、筆者はそれほど状況適用能力が高い方ではないのです。

 まぁそんなこんなで学校へと登校。


 1限目、英語。比較級のプリントです。まぁこれは楽しかったです。だって英語ですし。


 2限目、数学。本日は大学二次試験レベルの問題を数問解きました。

 それほどレベルが高くはなかったのですが、今日の先生は進むスピードが速いの何のって。本来なら65分かけて解説するはずのプリントを50分ほどで終わらせ、別の問題をプリントの裏にやりました。

 因みにその問題=『ここに金貨が10枚と銀貨が20枚入った袋があります。この袋から13枚の硬貨を取り出す時、金貨が何枚取り出される確率が一番高いでしょうか』。

 か…確率の最大値を求めるの!?

 うわぁ。。新感覚の問題だわ。皆様、どうぞお解き下さい。

 因みに答えは『4枚』です。

 解法まで載せてられないので、そこは自分でお考えあそばせ。


 3限目、古典。

 授業が始まる前に廊下で先生に呼び止められ、「次の古典、難易度高いから、今の間に新古典文法と辞書を他クラスの人から借りるように皆に呼びかけておいて」と任務を授けられました。

 よって黒板に黄色で『次の古典、新古典文法と辞書が無いと辛いそうです』と書いておきました。

 筆者がそれを書いた現場を目敏く見つけたクラスメイトたちが、何故か筆者の似顔絵らしき落書きをその横に書き始めました。

 初めは筆者も黙認していたのですが、完成品を見てみると笑いが止まりませんでした。

 何と、二頭身で、顔が某漫画『DEATHN○TE』に登場する『リュ○ク』に近かったのです。

 あの人たちの画才の無さにはほとほと感心しました。

 授業は予告通り、難しかったです。そもそも問題を解く時間すら与えられかったというのは、まぁ………ハッハッハ。


 午後からは先ほど記した通りです。

 ただちょっと父親の頼みに応えてPCを弄くり、幾つかのバグを修繕し、夕方ぐらいに雨の降りしきる中、ワンコの散歩に行ってきたということです。

 散歩先でもネタは見つかりませんでした。残念至極。



 最近、中学生の自殺が目立ちます。

 次から次へと自分で自分の命を、あたかもテレビの電源を入れたり切ったりするかの如く、消し去っていきます。

 その原因の大半は『虐め』によるものでしょう。

 しかし筆者はここで『虐め』について書くわけではありません。

 筆者は人の命の何たるかについて書きたいと思います。

 また、これは今後自殺を考えている人へのメッセージでもあります。

 筆者の言いたいことを伝えられるのはこのように狭く限られた場所しかないのですが、藁にも縋る思いで書きます。


 筆者は自分の現在置かれている状況や世界等から、若い人の苦悩に比較的頻繁に触れます。

 そこでは誰もが己の苦しみを他人に溢し、理解してもらいたいという感情を押し付けます。

 それは当然の行為です。

 勿論、そうあって然るべきだと思いますし、そうでなくてはならないとも思います。


 しかし『死ぬ』というのは一体どうなのでしょうか。

 愚痴を溢し、相手に理解をしてもらい、それでも飽き足らないのでしょうか。

 筆者にとって『虐められた。だから死ぬ』という考えは、『くだらない』以外の何物でもありません。

 『死』というものは本当にくだらないものだと思います。

 しかしそれは『死』という行為一つだけを見るからであって、『生』という行為を全うした人間の向かえる『死』という行為は華々しく、誇らしいものなのでしょう。


 話は飛びますが、様々な悩み相談を受ける中で筆者はよく極論を言います。

 例えば、「お金が欲しい」という人があれば、「じゃあ盗めば?」と言います。

 それは絶対にするはずが無いという予想の上で言うのですが、逆にそういうことで相手の思いを挫かせることが出来るのです。

 しかし筆者は「生きるのに疲れた」という人に、「じゃあ死ねば?」とは絶対に言いません。

 その理由は単純明快です。

 筆者は「まだまだ高校生の身分なのに『人の生死』という壮大なものはわかるはずがない」と思っているからです。

 以前、「何故人は生きているのか、何故人は死んではいけないのか」と尋ねた人がいました。

 筆者はこれに、「わからない。わからないからこそ、人間は生きているんじゃないか。誰にもわからないから、誰もが生き続けてるんだろう」と答えました。

 そして人間は決して答えを出すことのないまま、命の火を燃やし尽くすのでしょう。


 実をいうと、筆者も『虐め』を経験した人間です。少し前、虐めを受けたことがあります。

 その時はやはり辛く、厳しい毎日が続きました。

 しかし筆者には自殺という選択肢は見つかりませんでした。

 それは何故かと考えると、筆者が臆病者だったからでしょう。

 筆者は確かに脆弱な人間だったのです。

 そんな筆者と同じような臆病者には安易に『死』という行為は考え付かないでしょう。


 だからといって筆者は、自殺をする人間は強い、といってるわけではありません。

 確かにそういう見方もあるかもしれません。

 しかしそれは、一時の勢いであって、継続的なものでは決してありません。

 そのような勢いの乗じて己の命を終える。そんな散り方で満足できる筈がありませんよね。


 最後に、今自殺を考えている人々へ。

 このような言葉ではあなたには決して届かないことと思います。

 絶望のどん底に落ち込んでしまったあなたにはどんな言葉も響かないでしょう。

 しかし私は敢えてここに書いたのです。

 何故かはやはり、私にはわからない。

 でもわからないから、それをわかるために私は明日を生きようとするのです。

 結局答えが出なくとも、考えることに意味があると思います。

 そういう生き方って、格好悪いですか?

 私は、2006年11月14日の読売新聞朝刊の編集手帳に書かれてあった言葉は全くその通りだと思います。

 私は約束しましょう。

 少なくともあと1年、生きてみて下さい。

 あなたが必ず迎える、小さくも雄大な幸福のために。



 ☆彡
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by kyubi-grakai | 2006-11-18 22:44 | 心の詩